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2011年11月29日 (火)

高遠散策②

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美術館を後にして次の目的地は、絵島生島事件で高遠に遠流(おんる)となった絵島が生涯を終えるまでを過ごした家を残された史料から復元した“絵島囲み屋敷”。大奥のドラマを見たのをきっかけに江戸時代に興味を持った私としては、近くにこういうものがあるならぜひ見に行ってみたい、とずっと思っていた場所で、高遠散策のいちばん目的は、実はここ。左は建物の入り口。
真ん中は絵島が過ごしていた部屋、右は建物の外の板塀の上にある忍返(しのびがえし)。現代の住宅事情からすると、まあ普通のお家くらいの大きさだなぁという気もしますが、大奥でいちばんトップに上り詰めたような人が住んでいた、となると話は別で。しかも建物の窓など外と接する部分は全部、嵌めごろしの格子になっています。
見張りの役人が建物の入り口を固め、口にする食事も身につける着物も贅沢なものは許されず、手紙のやり取りは禁じられ、外出はお寺へのお参りのみ許されており、お経などを読んで過ごしていたそうです。そういう生活は33歳から60歳で亡くなるまでの27年間続きました。
Takato201111267
高遠からの帰り道に、絵島の菩提寺である蓮華寺がありました。お寺の前までしか行きませんでしたが、この奥の方に絵島のお墓があります。27年間の幽閉生活で、大奥にいたときから日蓮宗を信仰していたので、この蓮華寺へのお参りのための外出だけは許されていたそうです。シャクナゲなどお花が有名なお寺ですが、今のような何も花のない時期のせいか、誰もいませんでした…。
Takato201111269_2 
絵島囲み屋敷は歴史博物館に併設されているので、話は前後しますが、最初に博物館の方で高遠の歴史についての展示を見ました。高遠の歴史は武田氏の時代にまで遡ることが出来るのですが、江戸時代には、三代将軍徳川家光の異母弟である保科正之が、会津藩初代藩主になるまで藩主として治めていた場所でもあります。
その後鳥居氏が治めた時期や、鳥居氏が改易になった後天領となった時期を経て、幕末まで治めたのは内籐氏。展示されていた資料では藤原氏の末裔とも言われているとあり、城址公園内にあった神社が「新城藤原神社」という名前だったのはそれでなのかな、と思いました。
高遠では今、保科正之を大河ドラマの主人公にしよう、という運動をしているそうです。会津の名君として有名な人物ですが、信州ゆかりの人物でもあるので実現すると良いですね。
Takato201111265
そして最後に。博物館のそばにある白山橋からみた高遠湖(ダム)。橋の中ほどに、ダムを見るのにちょうどいい場所がありました。ただ、ダムの水面と同じかそれより少し高い場所から見るので、下の川がとても遠くて…ちょっと怖い場所でした。
小じんまりとした人造湖でまだ紅葉の残る山も近くにあり良い景色でした。すぐ近くの美和ダムまでついでに足を伸ばすのもいいかもしれません。

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