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2012年12月 6日 (木)

訃報に接し(中村勘三郎さん)

今まで、このブログにはその時々で色々な方の訃報に接してこのタイトルの記事を書いてきましたが、今回は、その中でも私にとってとても思い入れのある方です…。
正直、この訃報に接したくはなかったのです…。

昨日の朝、テレビのニュースで歌舞伎俳優の十八代目中村勘三郎さんが亡くなられたと知りました。今年の夏に食道がんの手術をされたことや秋頃から肺の疾患によってまた体調を崩されたことも報じられていましたが、まさか、まさかこんなに早く訃報を目にすることになるとは…本当にショックです。

私が勘三郎さんのことを知ったのは、まだ私が子供の頃だったと思いますが、漠然と歌舞伎の人だとかそういうのを知っていても、歌舞伎を見たいと思ったことはなく、たまに時代劇などで目にする人でした。
そして…20代半ばで萬斎さんをきっかけに狂言を観るようになってから、伝統芸能に対して漠然と抱いていた難しそうとか退屈そうという先入観が抜けてきた頃、歌舞伎にも興味を抱くようになりました。
最初に勘三郎さんのお芝居を生で拝見したのは、歌舞伎座の新春公演での「喜撰」だったと記憶しています。幕見席からの舞台はとても遠く、でもそのお芝居はとても楽しくて心躍る時間でした。

その後、生のお芝居に接する機会はなかなか訪れないかも…と思っていたのですが、その翌年、松本で信州まつもと大歌舞伎の公演があり、「夏祭浪花鑑」を拝見することができました。今でも、あの時の興奮は忘れられません。
その2年後にはシアターコクーンと松本の2会場で「佐倉義民傳」を拝見し、昨年は病気療養から復帰されての特別公演を松本で拝見することができました。
私にとっては、この復帰公演が勘三郎さんのお芝居を生で拝見した最後になってしまって、今年、何度もご病気のことが報じられているなかでも、時間がかかってもきっとまた復帰される、そして松本でもお芝居を見せてくださると思っていたので、本当に信じられず、残念で、悲しくて、寂しくて、なんだかもうやりきれない気持ちです。
松本の復帰公演に向けて「幕上がる」に寄せた勘三郎さんのコメントを改めて読み返して、涙が出そうです…。

勘三郎さんのお芝居に出会わなかったら、歌舞伎の面白さにも、お芝居を観ることの楽しさにも目覚めていなかったかもしれません。勘三郎さんを知ったからこそ素敵な役者さんにもたくさん出会うことができました。
出会ってからの年月はとても短かく、拝見する機会はとても少なかったのですが、その間、勘三郎さんは、たくさんのものを与えてくださる大切な存在、大きな光でした。
「夏祭浪花鑑」で、壮絶な親殺しの場面や軽々と梯子を登る姿にドキドキしたこと。
「佐倉義民傳」で、たくさんの人に慕われる宗吾が最後には怒り悲しむ姿に、もうなんでこんなに泣けるんだ!と思いながら涙したこと。
復帰公演の最後、客席からの拍手と歓声に涙で言葉を詰まらせながら挨拶された勘三郎さんの姿にもらい泣きしたこと。
そしてなにより、登場したその瞬間に見る人の目を惹きつけ、心を掴まえるそのお芝居、オーラに生で接せられたこと。
全て、大事な思い出です。
もうそれを体感することが出来ないのはとても辛いことですが、同じ時代に生きていて出会えたことを幸せに思います。

心からご冥福をお祈りするとともに、たくさんの楽しい時間を下さったことを、本当にありがとうございましたと言いたい気持ちでいっぱいです。最後、ご病気でたくさん苦しまれたでしょうから、今はせめて安らかにと願うばかりです。
今週末、まつもと市民芸術館へ勘三郎さんにお別れを言いに出かけようと思います。

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