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2013年6月28日 (金)

八重の桜:24

引き続き、遅れに遅れて見ております…。


大河ドラマ「八重の桜」
第24話:二本松少年隊の悲劇

なんだか、多分このドラマが始まって以来、いちばん辛くやりきれない回だったような。
新政府軍と戦うために二本松藩は少年隊も戦場に送ることになったことも、そこでまだ年若い(というか幼い)子どもまで犠牲になったことも、藩が決めたこととはいえ、新政府軍はそこまでしなきゃいけなかったのか…、というか前回のお話ですが、慶喜が江戸城を明け渡しているので会津藩も鶴ヶ城の明け渡すのはともかく、慶喜の首は要求しないのに容保の首を要求するのは明らかにやりすぎという気がしてしまいます。
岩倉や木戸に会津攻めに対して抗議する春嶽さんの言葉は、どれもいちいち尤も。会津が朝廷や都で力を持っていた頃、都を追われた長州、冷遇された岩倉。そういう人々による復讐のように思えてしまいます。徹底的に叩かないとまた同じことがというけれど、長州は徹底的にやられなかったから息を吹き返したわけで、まさに自分たちのように会津が反旗を翻すことを恐れているのでしょうね…。とはいえ、前回の慶喜同様、そういう立場に会津を立たせたのは春嶽なのに今更…という気もしないでもなかったり。
また、白河で新政府軍に対抗することが難しいと悟り、休戦を願い出ることを進言した頼母が役目を解かれ、言い募ろうとしたところを都での戦いを経験した面々から反発される…、というくだりでは、不利な場面でも最後まで戦うのだ!という姿勢はもちろん立派と思うものの、そこがもしかしたら、仕方なかったとはいえ、都で会津藩が苦難の道に踏み出してしまった部分なんじゃないかという気が…。
この辺りのところはあまりにも会津(と、その周辺の藩)は大変辛い部分で、それが故に地元の方は辛くて見られない方もいらっしゃるとか…。歴史から目を逸らすのはいけませんが、東日本大震災で被災した東北を元気にしたいという思いであれば、たとえば保科正之とか伊達正宗とか、テーマは他にも色々あったのでは、とつい思ってしまいますが…、せっかく見始めたのでまだまだ見続けようと思います。

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