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2016年12月19日 (月)

真田丸:50(終)

いよいよ最後。

大河ドラマ「真田丸」
第50回:最終回

いよいよ始まった徳川との戦い。
城を丸裸にされた状態ながら次々と徳川方の軍勢を倒す毛利・真田の活躍によって優勢に戦いを進める豊臣方。しかし…、出陣が遅れていた秀頼を城に迎えに行こうとした大野治長が馬印を持って帰ったため、それを見た豊臣方の兵たちは負け戦と勘違い。また、城には信繁は徳川方に寝返ったという噂が広まっており、秀頼をさらに足止めする結果に…。
そういう小さなことの積み重ねによって戦いの風向きは変わり…、一時は家康を切腹直前まで追い詰めつつも大坂城は落城、秀頼と茶々は自刃し豊臣は滅亡。
この戦いに勝てば、徳川が天下を治めることは覆せなくても、豊臣は大坂城を捨てることを引き換えに四国全部は無理でもどこか遠くの藩を領地として家を存続することはできたかもしれないという気もしますが…、こういう小さな、でも行く末を大きく変えてしまう事が起こったというのは、やっぱりこうなる運命だったのかも…と思わずにはいられません。
そして…戦からは遠く離れた場所で、信繁の兄・信之はお守りの銭六文を繋いでいた紐が切れたことで、弟の死を悟る…という。
信繁は戦国時代の最後に活躍した名将ですが、武田家の領地を取り戻すという信念を持ち続けた真田昌幸の息子として生まれ、豊臣が治める時代には秀吉・秀頼親子、石田三成・大谷吉継など豊臣方の人々に恩義がある、という自分の持つバッググラウンドのなかで、自分がこの世に生きた証、こういうことをやったんだと言える何かのため、最後まで駆け抜けた結果がこれだったんだろうなあと思います。
その根っこにあるのは、自分と縁のあった人のために何かしたいという気持ち、そして、自分が存在意義を感じたいという気持ち、戦国武将ではなくても人間だったら誰でもが多少は持っているささやかな思いなのかもしれません。

信州ゆかりの武将で名の知れた存在である真田のことを、私は実はあまり詳しくは知りませんでしたが、こうして1年間その歩みを追いかけることができて、とても楽しく、また様々なことを考えさせられました。
登場したたくさんの人々について、史実と比較してどう、ということまでは詳しく分からない部分の方が多かったのですが、この物語のなかでこの人物がどう描かれているのか、ということには折に触れ、興味深い部分が沢山ありました。そのなかでもとくに印象的だったのは、石田三成と豊臣秀次でしょうか。
ここ数年、ほかの大河ドラマや、映画、お芝居、本などでこの戦国時代に繰り返し触れる機会があったのですが、その度に視点が変わることで様々な面を知ることができ、今年さらに別の視点でのお話にも触れることができたのはとてもいい経験になりました。また、同じ県内なのに今まで気になりつつも訪れたことのなかった上田城を訪れることができたのも、このドラマを見たおかげです。

さてそして、来年の大河ドラマは「おんな城主直虎」。最近は幕末と戦国(もしくはそれより前)を行ったり来たりしていたのですが、戦国の次も戦国。
恥ずかしながら、名前はもちろんどんな人生を送った人なのかもよく知らない人物が主人公なので、以前の私だったら、うーんよく分からないから今回は見なくてもいいや…と思っていた気もするのですが、今は、また違った視点で戦国時代が見られるんだなあという前向きな気持ちです。おそらく、最初の数回くらいは主な登場人物のことを覚えるのに一生懸命だと思うのですが、それもまた楽しめればいいなと思います。

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