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2017年9月18日 (月)

おんな城主直虎:37

井伊谷に武田の手が迫る。

大河ドラマ「おんな城主直虎」
第37回:武田が来たりて火を放つ

井伊再興を諦めたのちに還俗し、いち農婦としてかしら(龍雲丸)と暮らすようになったとわ。
そして井伊に代わり井伊谷を治めることになった近藤のもと、井伊谷には穏やかな日々が訪れていました。
そして気賀で商いを行っていた中村屋から一緒に堺で商売をしようという誘いを受けたかしらから、一緒に行こうと言われ悩むとわ。そんなとわの背中を押したのは母の「孫が見たい」という言葉。何でもないような言葉にも思えますが、許嫁の直親が出奔して幼くして出家し、成長してからは直親の死後は城主として井伊を支えていた娘に、決して望むことはできなかったことなのだと思うと、ちょっとぐっとくるものがありました。
そして…、勝手に氏真(今川)と和睦した家康(徳川)に怒った信玄がとうとう遠江に攻め入ってきました。その動きを最初に知ったのは、近藤のもとに仕えることになった高瀬。行商人を装う怪しい人物から「武田が攻めてくる。今の井伊谷の城主を殺せ」と命じられます。おそらく、高瀬は武田方の間者のようなものらしいですね…。高瀬がやってきたとき一度は疑われた武田の間者説がここで生きてくるとは(おもに疑っていたのは政次ですが)。井伊谷にやってきた頃、常慶のことを見て不安そうな表情をしていた場面がありましたが、常慶の山伏姿に反応したからだったのかもしれません。
そして、井伊谷の人々みなが武田が攻めてくることを知り、龍潭寺に集まる南渓和尚はじめ龍潭寺の僧の面々、之の字こと中野直之、そしてとわ、かしら。井伊が無くなってもこの面々が集まって戦について議論しているところは、実は井伊が完全に無くなったわけではないと思わされます。
最良の策と思われる武田への帰順を選ばず、戦おうとする近藤に業を煮やしたとわたちは近藤を人質に取り強硬に武田への帰順を迫ります。そこで近藤の取った策は、井伊谷城に火を放つこと。
井伊家がなくなり、城も燃えてしまった井伊谷。次回は「井伊を共に去りぬ」。とわがとうとう井伊谷を去ってしまうときがくるらしいということも気になりますが、次回から成長した虎松(のちの直政)も登場するらしいのでそちらも気になるところです。

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